建築家インタビュー

編集本日は、マリモハウスの専属の設計士の植木氏と繁岡氏のお話を伺います。
おふたりは、建築に携わって30年以上のベテラン建築家です。1980年代後半から現在までの住宅の変遷や環境の変化について伺いました。

編集こんにちは、よろしくお願いします。
それでは早速ですが、おふたりが建築に携わるようになったきっかけから教えてください。

植木実家が祖父の代から材木屋を始め、小さい頃から木材やその匂いに親しみを感じ、それを活かせる仕事は何かと考えた時、建築という仕事が一つの選択肢として浮かんできました。その後建築の道に進み、やがてそれに染まっていったという感じですね。

繁岡大学で建築学科に入学したのがきっかけです。建築学科の選択は美術と工学の融合した雰囲気にあこがれがあったからです。

植木氏

建築家/植木 博史(Hiroshi Ueki)

視野を広く、お客様の立場になって考えることを自然体で行なう、職歴41年の設計士。座右の銘は不断向上終身努力。犬や猫に癒され、ドライブやカフェ巡りで英気を養う。

編集おふたりとも望んだ道をこれまで邁進されてきたんですね。うらやましいです。この30年を振り返ったとき、ちょうど1980年代の後半「バブル景気」と言われた時代からはじまりますが、そのころの住宅はどんな様子だったのですか?

繁岡そうですね。当時の会社のスタイルもあって輸入住宅風のスタイルを主張していましたね。

植木家の内外には、その家に必要な機能とは別に、ステイタスとしての飾り物などが多く使われ、時には西洋のお城の様な6角形の塔を付けたり、台形の出窓や、ドーマーといった鳩小屋の様な飾りを屋根に付けたりと、装飾的な造りが流行っていました。

繁岡装飾も楽しかったですが、建築技術的にも飛躍が始まった時期ですよね。

植木確かに、1980年代はツーバイフォー工法にとって、躍進の時代であり住宅金融公庫(現フラット35)では、償還期間が25年から30年、35年と伸び、火災に対しては簡易耐火構造(現在の省令準耐火構造)扱いとなったり、2階建てしか建てられなかったものが、小屋裏3階から正3階も可能となったりと飛躍の時代であったと思います。

繁岡ツーバイフォー工法で総3階建てが出来るようになって、宇品(広島市)に3階建ての展示場も建ったこともあり、総3階建ての計画が増えました。
特に狭小敷地でも計画が出来るようになって、建売住宅も含め当時は大阪や東京でも事業展開していましたね。

植木そう、なんだかものすごい勢いで世間や技術が過ぎていった時代でした。

繁岡氏

建築家/繁岡 秀憲(Hidenori Shigeoka)

お客様の夢の実現に向けて、特別で大切な時間を共有させてもらっている。といつも新しい気持ちで仕事に取り組む職歴36年の設計士。座右の銘は一期一会、60~80年代のロックを好みライブに、仕事に、カープに、家庭に多忙な毎日を送る。

編集やがてバブルが終わりますが、そのあとには何か変化がありましたか?

植木そうですね。バブルが終わり、90年代から徐々に住宅の志向はシンプルな考えに移行していったと思います。
質素とは違い、不要な物をそぎ落として、その方の生活スタイルに合ったものを残す。ある意味素朴な暮らしを求める方が増えてきた様に思います。

繁岡落ち着いたというか、いろいろ経験して感性が高まったんでしょうかね。ジャンルは違いますが音楽もこの頃大きく変わりましたね。私は70年代、80年代のロックが好きですけど。

繁岡徐々に断熱性と気密性を高めた住宅の有効性が注目されるようになって、我が社も他に先駆け、高気密・高断熱+24時間計画換気の住宅の開発に取り組み、先進的な技術として採り入れる様になりましたよね。あれから20年以上も経ったんですね。

植木住宅の性能が上がるにつれて、1990年代頃から気密性を増した住宅は、その弊害としてシックハウス症候群等の化学物質による人体への影響が問題視される様になりました。
社会的にもその対応が望まれ☆☆☆☆(フォースター)のマークが入った有害物質の発生を抑えた材料が増えて、自然素材への関心も増えましたね。

繁岡2003年に建築基準法でシックハウス対策の法改正があり、換気設備の義務付けや、室内で使う建材や塗料の規制が本格的に始まりましたよね。
その前から、無垢の建材や自然塗料に注目していた当社は、世間の流れもあり自然素材で建てる家のアピールをはじめたと記憶しています。

編集そうなんですね。気密性が上がったからシックハウスが表れたというのは皮肉な話しですね。でも素材や製品に注意がなされる時代になって消費者としてはよかったです。
その後の設計やコンセプトに影響はありましたか?

植木そのころから、いまの自然循環型設計の元になる設計思想が芽生え始めたと思いますね。
高気密・高断熱住宅も手掛けながら、それと並行して、自然のままに生きる住まい。風や光を自然に取り入れ、癒しの中で暮らせる住まいを求めるようになりました。その一環が町屋の知恵を利用し、格子等を使って視線を和らげる工夫も取り入れましたね。それがいまに到っていると思います。

繁岡それに自然素材の家という切り口と、「癒し」を求めた家づくりとして打ち出して、パッシブの家づくりや外部空間を取り込んだ内外中間的な空間(いまの屋根付きウッドデッキ、現代の土間アースフロアなど)の提案をはじめたと思います。

植木氏

編集さきほど繁岡さんからパッシブという言葉が出ましたが、これはドイツの断熱設計からはじまった言葉ですよね。最近、ZEHと言われる住宅についてはどういう風にとらえていらっしゃいますか?

繁岡省エネ基準も高い設定になり、太陽光発電を含めたトータルで省エネを検討する必要が出てきました。
高気密・高断熱なツーバイフォー工法のメリットを生かした価値の高い提案をしていますが、みなさんにきちんとなぜその方がいいのかを上手に説明して納得していただける必要性を感じています。

植木時代の移り変わりというか、やはり2000年の住宅基準法の改正を境に、住宅の在り方が大きく変わりましたね。
地球の環境への関心が高まり、住宅の断熱に関しても、高断熱が当たり前の時代となり、基準以上の断熱住宅も徐々に増えてきました。
これまでもそうでしたが、現段階では、最高の基準である断熱住宅も、おそらく更にバージョンアップを続け、10年後には、もっと高断熱の住宅が当たり前になっていると思います。

繁岡氏

編集この30年の歩みをうかがいましたが、おふたりのこれまでのご経験からこれから家を建てようと思っている方にアドバイスするとしたらどのようなことをお伝えしたいですか?

植木家を建てる時に、性能も大事ですが、それらだけにこだわるのではなく、永く住み続ける為には将来(10年、20年、30年、更に先)を見通した生活設計や暮らし易さ、素材、動線、様々な観点から視点をバランスよく考える事が大事だと思います。

繁岡気をつけたいこととしては、あれもしたい、これもしたいと家づくりに取り入れたい事は様々ですが、予算を考慮に入れた優先順位を付けていけばよいと思います。また、家を作るときの考え方ですが、朝起きてから寝るまでの1日の生活の流れをイメージして、今までの自身の生活スタイルプラスこうありたいという要望をひとつずつ挙げていくと要望がまとまりやすいかも。

編集ありがとうございます。
では最後にお客様へ建築、設計を通して伝えたいことを伺います。

繁岡お客様の想いと毎日の暮らしに寄り添える唯一無二の住宅のために、これまでの経験をもとに、より一層、お客様と密に接して様々な要望をカタチにまとめていきます。
住宅は何十年もその存在が残ります。価値の高い、何十年たっても古くならない、使いやすい提案をこれからも目指していきますのでよろしくお願いします。

植木自然との共生を基本とする考え方は、今後も変わらないと思いますし、世の中が求め続ける性能も備え続けると思います。
住む方が出来るだけストレスを感じる事の無い「癒しの住まい」を今後もずっと続けて行ければと思います。
住まいは、家族の絆を作ったり、時には壊したりする事もあります。
その作り方ひとつで、ちゃんとコミュニケーションをとる場所があったり、親の背中を見せたり、子供の成長を感じながら、その家庭の文化が伝わって行き、歴史が作られ、思い出も作られて行く大切な場所なので、住む方の思いの一つひとつを大事につくらせて頂きたいと思います。

編集今後、マリモハウスの名前を見かけたときは、おふたりのお話が浮かんでくると思います。本日は、貴重なお話しありがとうございました。

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